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療養休暇
2006年09月24日 (日) 21:42 | 編集

9月19日現在、療養休暇中である。


8月28日深夜から9月12日までの16日間「髄膜炎」で入院していた。今は自宅療養中。髄膜炎は子どもがなるものだとおもっていたので、まさか自分か罹患し、それもこれほど入院するとは思わなかった。


8月24日(木)夜、子どもから夏風邪をもらったのか38.8℃の発熱。頭痛もひどく、翌日、かかりつけ医に受診。普通なら一回の受診と服薬でだいたい治る。しかし、どうも頭痛がひどく、熱が下がらない。
29日から久々の東京へ研修出張があるがどうもこのままでは行けそうにない。27日(日)の夜、この研修出張を断念する連絡を上司にして、28日朝一番に再受診。薬を強いものに変更して様子をみるが一向によくならない。
夜になって耳鳴りがしてきた。これはダメだ。妻にお願いして総合病院の救急外来に受診することにした。ボーッと妻の運転する車に乗り、病院へ。救急外来に受診して、髄膜炎を疑われ、髄液をとって検査するかどうか聞かれた。脊髄から髄液を抜くのである。想像しただけで、痛い…。
どうするか迷っているうちに若い救急医は「CT撮りましょう。それを見てから抜くかどうか決めましょう」と言ってくれたのでそうすることに。CT撮影後、やはり髄液を採ることになる。背中から採るので見えないが、麻酔をして、太いルンバール針というやつで抜いたはずである。採取中、時間がものすごく長く感じた…。
20分ほどして検査結果が出る。「髄液中細胞が300超えてますね。髄膜炎です。このまま入院してもらいますがよろしいですか?」と救急医の声。「ハイ、わかりました。お願いします。」と私。
「ガンはOPしても直ぐには死なないけど、髄膜炎は直ぐ死ぬ。しっかり治すしかないね」と妻。あまりに説得力のある言葉。こうして人生初めての長期入院がはじまった。


実は、妻はこの病院の臨床検査技師である(^^ゞ
私はこの病院が最初の勤務地だった(^_^;)
 病院を離れて十年以上たっていますが、まだ知り合いは多く、入院は少し恥ずかしい。救急外来の看護師も同級生だった。
CT撮影に行くとき、自分で歩いていくつもりだったが、車いすに乗っていくようにと言われ、渋々乗っかる。後で思うと、もうこの時が一番フラフラでとても歩いていてはいけない状態だったらしい。点滴をいれられ、病棟までは、髄液抜いたばかりなので、ストレッチャー移動。ストレッチャーからベッド移動は看護師四人くらいでシーツごと「いち、にぃの、さん」で平行移動。う~んさすがです。
朝になって、ぼーっとしていると、看護師さんが入れ替わり立ち替わり深夜に入院した私を確認にきてくれたけど、どなたが来てくれたか全く覚えてない…。


担当医も決まり本格的な治療開始。点滴が1時間単位で切り替わっていく。担当医は「点滴の絨緞爆撃」と表現していた。
個室だったため、携帯電話の使用も許されていて、職場に連絡を入れたりもした。しかし、今思うとかなりとんちんかんなことを言っていたと思われる。
3日目にまた髄液検査があり、背中をちくり…。神経内科医で評判のよい担当医はさすがに上手で、痛みもなく、安心していられた。この日の髄液検査の数値はまだ170を超えていて、なかなか下がらないものだと実感する。頭痛や耳鳴りの諸症状はいくらかはよくなってきてはいるものの、まだまだで、担当医も「療養期間は約一ヶ月」といわれた。「治療の後半はものすごく暇になるから、今は我慢して」と妙な励ましをもらうが、ちょっと想像ができない。


こんな状態が一週間ほど続き、週末には弟夫婦が見舞いに来てくれて、差し入れをもらう。
入院二週目になると職場の上司から見舞いがある。だいぶ調子は良くなってきてはいたけれど、少し具合の悪そうな素振りをしてしまった。


この入院でキャンセルになったこと。
私の所属している吹奏楽団が長年参加してきた吹奏楽コンクールで初めて県代表になり、上位大会に出場が決まっていました。それも地元開催。吹奏楽連盟の役員をしていることもあり、いろいろ役割を仰せつかっていた。しかし、入院した週末の9月3日、上位大会の「東海大会」があり、コンクール参加断念。迷惑かけまくり…。無念。残念。そのことを妻にこぼすと「ガンでは直ぐ死なないけれど、髄膜炎は直ぐ死ぬ」の殺し文句…。


入院中辛かったこと。
行動範囲に規制があり、部屋から出られなかったこと。微熱が続き、37度以下で24時間継続しないと洗髪(入浴・シャワー)の許可が出なかったこと。10日間洗髪できなかった。いまひとつ治療計画や看護計画がはっきりわからず、清拭もお願いしていいのやらよくわからなかった。やっぱり看護師さんの方から説明や促しがないとお願いしづらいと思った。


入院2週目の週末、点滴もはずれ、外泊許可が出る。久々に自宅に戻れる。うれしいけれど、三日に一回のペースで見舞いに来てくれていた子どもたちの煩さに頭が痛くなっていただけに不安になる。車の中で早くも不安的中。車酔いして気持ち悪い。久々に外に出て、情報量が増えたためなのか、頭がフラフラ、体がフワフワ…。物もなんだか遠くに見える。う~ん後遺症か…。妻は「頭の中、腫れてたんだから、しょうがないよ」とひとこと。二泊して病院に戻る。日に日に回復に向かっているのはわかるけれど、まだちょっと辛い。


 入院15日目、退院を決める髄液検査。
ここでちょっとした事件が起こる。外泊前からこの日に検査があることがわかっていたので、何時に採取するのか看護師さんとも気にしていた。
担当医は外来休診にしていて、予定がちょっと未定だから髄液採取は午後になるだろうと思っていたら大ハズレ。9時半頃になりそうだと担当看護師から連絡もらい、部屋で準備。
そうこうしているうちに担当医が研修医とおぼしき若い女医さん連れて入ってきた。担当医が採取するものと思っていたが、どうも会話の成り行きがおかしい。
「ありゃ??」どうやら研修医がやるらしい。内心「おいおい待ってくれよ」である。研修医は挨拶も自己紹介もなく、私のきちんとした同意もなく、髄液採取のせん刺の準備をはじめた。
仕方ない。指示された体形をとる。採取中、だんだん左臀部というか大腿骨が痛くなり辛くなった。そのうち左足がピリピリしびれたのでさすがに声を出し、訴えた。
担当医は大丈夫だよといってから研修医に指示を出す。足のしびれはなくなったが、採取の時間がとても長時間に感じられた。
研修医さん、もうちょっと愛想良く声かけしてよ。不安です。
看護師さんにはその旨ちょっと伝えておいた。その話をきいた妻はプンプン怒っていた。


髄液内の細胞数は45と下がっていた。50以下が退院の目安となるので、翌日の夕方退院の予定となる。でも通常の大人は10以下らしいから、それと比べるとまだまだ高い数値ではある。
この夜、せん刺した背中、しびれの出た左足に痛みがでて苦痛となった。坐薬を使いなんとか寝ることができた。
髄液せん刺は腰痛などの後遺症が出るらしいが、思いっきり出ている感じ。退院はなんだかきちんとした説明、指導もなく、なんとなく退院…。
こんなんで良いのかなという不安とちょっとした怒りが発生した(^^ゞクレームしようかどうか迷ったけれど、面倒くさくなっちゃった。
自宅に戻る最中の車は、やはり気持ち悪くなった。自分で運転したら大丈夫だろうと思っていたが、その運転がとても苦痛で気持ち悪かった。
退院して一週間ようやく大丈夫になってきた感じである。


 そろそろ職場に復帰しなくては…。 嫌だなぁ…。

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