好きこそ物の上手なれ
家族こと  音楽・Tubaのこと  写真のこと等々  多趣味者のノープランな戯言です。
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練習復帰
2006年09月30日 (土) 22:37 | 編集
髄膜炎でコンクールを断念して以来の練習復帰。

右頬が痛い。副鼻腔炎が悪化しているのか…。近いうちに耳鼻科に受診したい。

やはり髄膜炎の原因の一つは副鼻腔炎もあるかもしれない。

リップスラーが繋がらず、苛立たしい。

初めての曲ばかりで楽譜を追うので精一杯。

この時期、うちの団は定期直前にもかかわらず、市の催し物の都合でジプシーになってしまう。今日はいつもの勤労青少年ホームではなく市民会館の会議室。

携帯電話のカメラでMy Tuba撮してみました。
NEC_0016-1.jpg

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My Tuba 遍歴②
2006年09月30日 (土) 21:59 | 編集
自前の楽器を探し出しはじめ、東京へ出張のついでとか、遊びに行ったついでとかにDACさん、ネロ楽器さん、TAOさんに寄っては試奏させてもらった。

当時、試奏させてもらった楽器といえば
・ミラフォン 86a
・ヤマハ カスタム841
・B&S 3101,3103,3106
・カリソン
・マイネル25

ミラフォンといえば、これはもうベストセラーのB♭管で超有名な機種。ヤマハカスタムを試走した後に期待してミラフォンを試奏したのだけれど、音の響きがあまりに薄く ???(あれあれあれ)
B&Sは当時流行りだしたメーカーで、気持ちよく吹けた。
マイネルは音色がハッキリ、強い音が出る感じだけど音程に難有りか…。
カリソンは柔らかい音色。

そんな感想をもった。
カメラの解像度
2006年09月30日 (土) 00:28 | 編集
昨夜upした写真、写りがいまいちでしたね。

原因は画質モードがNORMALで画像サイズがVGAだったためのようである。さらにそれの画像サイズをPC側で下げてしまったから、解像度が下がった。次からは綺麗にupしたい。
ちなみにカメラはNikonのCOOLPIX885。
ちょっと古いタイプになってしまった。購入当時はメインで使っていたけれど、本体バッテリーの蓋の固定部品がプラスチックで華奢にできていて、欠けてしまったから、しっかり閉じない(^^ゞ
Cannonの20Dを購入してからは、すっかりサブ機。


人事異動の辞令交付がでた方々が挨拶にきた。
一身上の都合で退職されてしまう、我が支所の№2は定年になる年齢よりずいぶん若いのにどうされるのだろう?
本店のトップと揉めたようなニュアンスの挨拶の言葉だった。
私はちょっと苦手なタイプだったので、なんとも複雑な気持ち。
でも、さすがに退任の挨拶を聞いているときはちょっと「ぐっ」ときた。
部屋の一部
2006年09月28日 (木) 22:04 | 編集
DSCN1648-1.jpg

天井までにはとどきませんが、箱だけはあります

DSCN1655-1.jpg

ここにも箱があります。

DSCN1649-1.jpg

ほとんど素組みです(^^ゞ

DSCN1650-1.jpg

ここにもあります。

DSCN1654-1.jpg

製作中です。さてなんでしょうか?
給付金等請求書用診断書
2006年09月27日 (水) 22:40 | 編集
医療保険の給付金を請求するために診断書を病院にお願いしていたのだが、今日できあがってきた。

あらためて、病状経過欄をみるとなかなかおもしろい。
髄膜炎になるメカニズムが実はよくわかっていないらしく、すっきりしないところ。
今回の原因も単純に細菌性かは疑問と診断され、ウイルス性も疑いながら両面で治療したと診断書にあった。このことは治療中にも説明されていた。
絨毯爆撃のごとく点滴された薬名は「ゾビラックス」「セフォタックス」「グリセオール」の三種類。なかでも「ゾビラックス」は高価な薬だったらしい。
8月の入院期間は4日間であるが、診療費明細の「注射」は7万円を超えていて、入院料の6万8千円を上回っていました。

それにしても負担率が30%なので、自己負担は大きいです。

16日間の入院医療費は総額で約27万でした…(*_*)

えらいこっちゃ

医療保険の給付金も成人病とか癌治療ではないので、給付額が低く元は取れない感じです。
Tuba初心者のMP
2006年09月27日 (水) 22:02 | 編集
Tuba初心者のMP


今Tubaを始める者に薦められるMouthpieceの定番といえばなにになるのだろう?

自分が中・高校生の頃はBachの24AWというのが定番だったような気がする。
何故このMouthpieceが定番だったのか理由が自分はよくわからないんです(^^ゞ
もし知っている方いたら教えてください。24AWは試奏くらいでしか試したことがなんいです。印象とすれば、「厚く丸いリムで少しもっさりとした音色」でしょうか。

大学生のときバンドジャーナルのワンポイントレッスン記事でみたお薦めモデルMiraphoneのC3(現行:TU21)を購入。
このC3は口径32.1mmで深さも中庸。リム幅厚く、リム形状は平らで、カウンターはわりと鋭角。
このため発音もしやすい。タンギングが下手だった私にはありがたいMouthpieceだった。

ロータリーのTubaで始める人にはC3の方が楽器の特性上、明るくはっきりとした音がだせるのでお薦めな気がします。

大学生時、最初に買ったC3は今でも持っています。Tubaに転向したときあらためて購入したC3(写真)はオークションで既に手元にはなし。デザインも少し違いますね。

中学校の備品楽器をみるとボロボロなものも多く、Mouthpieceのシャンクなんて、どれも○ではなく☆とは言いませんがぐしゃぐしゃなのがほんとんど。矯正の道具そんなに高価な道具ではないから、顧問の先生、常備して直してあげてほしい。
My Tuba 遍歴①
2006年09月26日 (火) 23:15 | 編集
古くは大学3年の時、自分の大学にはTubaの備品がなく、
連盟を通じて、A教育大学から借りてきたYAMAHAの641が最初でした。
シリアル番号が二桁台のごくごく初期のものだったと記憶している。
これが全く鳴らない楽器で、YAMAHAもとんでもないもの作ったものだと思った。

二番目は前述したとおり、マイネルの30c。
所有者の話では、DACさんで中古で購入したらしい。1番管、2番管がきつくて、馴染ませるのに少々苦労する。
転向したばかりの初心者ということもあってか、音程が定まらない。
つまり、音痴。1番管の抜き差しが大きい難点があった。
また、長年Tbをやってきたためか、頭の中はすっかりB♭管で、C管の指使いに切り替えがなかなかできない。

1,2ヶ月悩んでいたところ、同じパートのK君のヴェルトクラングのB♭管が空くことになり、チェンジ。品番は103というタイプだったと思う。ベル径40㎝のノーラッカー。音もK君が高校時代から吹き込んでいたので音抜けもよく、渋くていい楽器だった。ロータリー部の軸受けがコルクタイプだったので、ホームセンターへ行って太い黒ゴムを買ってきてサイズに合わせて切り軸受けにした。
1年程ヴェルトクラングにはお世話になった。

でも次第に自分の楽器が欲しくなってくる訳で…

カタログや資料を集め出している自分がいた。
急に寒い
2006年09月26日 (火) 22:37 | 編集
急に寒いっす。

まだ服装的にはクールビズでノーネクタイ。

ちょっと辛い。

そう思っていたら、夕方クールビズ期間終了のメールが入っていた。

でも来週の衣替えから。
My Tuba
2006年09月25日 (月) 22:09 | 編集
my tuba①


Tubaのこと書いてみます。

私、Tuba吹いています。
Tubaを吹くようになったのは'98年の暮れからだったから今年で8年目くらい。
それまではTbでした。
所属する吹奏楽団の編成が当時は非常にバランス悪かったのと、Tb吹きとして少し限界を感じていたこともあって、Tubaに転向した。
考えてみたら、もう8年も経つんだ…(^^ゞ 早いな~ ちっとも進歩してないや…。

Tubaに転向したばかりは、周囲から「全然似合わない」「イメージと違う」といわれ、
妻からは「私はTb吹きのあなと結婚したのに何故(?_?)」といわれる始末。最悪のスタート…。

学生時代に半年ほどTubaをやったことがあり、たぶんできるだろう思っての転向。
音はでるけど、「Tubaらしい」音がでないというありがちなパターン。

最初に借りた楽器がマイネルの30Cという4ロータリーのC管だったのだが、
C管と気付かずにB♭管だと思いこんで「楽に音がでるB♭管Tubaだ」などと思っていた。
C管だと教えられてからは、「やっぱりこれからのTubaはC管だよなぁ…」と妄言が頭をよぎる。
これがのちのち「ドツボ」にはまるきっかけにもなった。

ちなみに現在使用楽器はMeister Anton 420GBです。この楽器のことは、またいずれ詳しく書きたいと思ってる。

ブログデザイン
2006年09月25日 (月) 21:53 | 編集
ブログデザインがなかなか定まらない。

公式デザインを見ては迷い、共有デザインを見ては迷い…。

コロコロ変わる女心と秋の空…?

いや、ころころ変わる男心とブログデザイン…。

ちょっと落ち着かないけれど、しばらく気に入った物が見つかるまで(カスタマイズできるまで)、デザイン変わります。
運動会日和
2006年09月24日 (日) 22:23 | 編集
長男の保育園の運動会。
心配された天気であったが、素晴らしい運動会日和となった。
長女、二女、長男と足かけ8年かかって保育園の運動会も本日が我が家にとって最後となった。

前日より準備抜かりなく、保護者席の場所取りも例年より更に早い時間に行き確保。
万全のはずであったが、DV撮影はじめたら、いきなり「バッテリーを交換してください」と案内が出る。
「なんじゃ??」
どうやらバッテリーを充電し終えて本体に装着したはよいが、本体のスイッチが入っていたようで、一晩であがってしまった。
「どうする」
予備のバッテリーをこの日に限って持ってきていない。あわてて予備バッテリーを取りに自宅にもどるはめに…。詰めが甘かった…。

保育園の運動会は小学校の運動会と比べ、ゆっくりだ。のんびりしていて、よいけれど、常日頃迅速な仕事を要求され、そういうことに慣れている(せっかちな性格ともいう)者には辛いところ。

いろいろな意味で成長を見せてくれた長男に拍手。
IMG_1416-2.jpg

異動内示
2006年09月24日 (日) 22:21 | 編集
10月人事異動の内示があった。
ここ2,3年人事異動が頻回になってきているが、今回もやはりであった。
トップに近い人が予想外の退職でサプライズ!!
その余波を受けたと思われる異動でサプライズ(@_@)
とりあえず自分の異動はなし。この4月に異動したばかりなのに、ここでもし異動するようでは「能力なし」の烙印を押されたようなものだから少し安心。

昨日より頭の働きはよくなっている気もする。やっぱ「慣れ」だ。
でもオンライン端末の暗証番号の一部を忘れてしまっていて、情けない気持ちになる。かるくヤバイ…。
電話の応対の声も少しは大きく明るくなってきたかな。
復帰
2006年09月24日 (日) 22:20 | 編集
今日から職場復帰。

ほぼ4週間ぶりである。とても気恥ずかしい。

始業の朝礼前にお見舞いを頂戴した上司に挨拶とお礼のお返しをする。
すれ違う職場の仲間に頭を下げ下げ、逢う人逢う人「無理しないようにね」と声かけられる。
ありがたい限りである。
しばし病状とか状況を報告。

療養休暇中、一番迷惑をかけてしまった部下のS君から状況の報告をもらう。
書類的には思ったほど溜まっていなくてほっとする。
新しいノートPCが届いていた。これで無許可で持ち込んでいた自前ノートPCがやっと引き上げることができる。午前中はデータ移動とPC環境の整備。休暇中に溜まった迷惑メールは200を超えていて、うんざりだ。

情報が大量で、頭が飽和状態。冗談ではなく頭がボーッとしてくる。

やはり頭の体力が落ちている。ゆっくりやっていくしかないかな。
ありがとう
2006年09月24日 (日) 22:18 | 編集
はじめて長期入院を経験し、

あらためて、健康であることのありがたさ、家族のありがたさ、

とりわけ妻のありがたさを感じました。

明日から職場復帰します。

職場にも多大な迷惑をかけてしまった。でも、私くらいいなくても仕事はまわっていくのよね…。

…いやいや病になりそうだね。
療養休暇
2006年09月24日 (日) 21:42 | 編集

9月19日現在、療養休暇中である。


8月28日深夜から9月12日までの16日間「髄膜炎」で入院していた。今は自宅療養中。髄膜炎は子どもがなるものだとおもっていたので、まさか自分か罹患し、それもこれほど入院するとは思わなかった。


8月24日(木)夜、子どもから夏風邪をもらったのか38.8℃の発熱。頭痛もひどく、翌日、かかりつけ医に受診。普通なら一回の受診と服薬でだいたい治る。しかし、どうも頭痛がひどく、熱が下がらない。
29日から久々の東京へ研修出張があるがどうもこのままでは行けそうにない。27日(日)の夜、この研修出張を断念する連絡を上司にして、28日朝一番に再受診。薬を強いものに変更して様子をみるが一向によくならない。
夜になって耳鳴りがしてきた。これはダメだ。妻にお願いして総合病院の救急外来に受診することにした。ボーッと妻の運転する車に乗り、病院へ。救急外来に受診して、髄膜炎を疑われ、髄液をとって検査するかどうか聞かれた。脊髄から髄液を抜くのである。想像しただけで、痛い…。
どうするか迷っているうちに若い救急医は「CT撮りましょう。それを見てから抜くかどうか決めましょう」と言ってくれたのでそうすることに。CT撮影後、やはり髄液を採ることになる。背中から採るので見えないが、麻酔をして、太いルンバール針というやつで抜いたはずである。採取中、時間がものすごく長く感じた…。
20分ほどして検査結果が出る。「髄液中細胞が300超えてますね。髄膜炎です。このまま入院してもらいますがよろしいですか?」と救急医の声。「ハイ、わかりました。お願いします。」と私。
「ガンはOPしても直ぐには死なないけど、髄膜炎は直ぐ死ぬ。しっかり治すしかないね」と妻。あまりに説得力のある言葉。こうして人生初めての長期入院がはじまった。


実は、妻はこの病院の臨床検査技師である(^^ゞ
私はこの病院が最初の勤務地だった(^_^;)
 病院を離れて十年以上たっていますが、まだ知り合いは多く、入院は少し恥ずかしい。救急外来の看護師も同級生だった。
CT撮影に行くとき、自分で歩いていくつもりだったが、車いすに乗っていくようにと言われ、渋々乗っかる。後で思うと、もうこの時が一番フラフラでとても歩いていてはいけない状態だったらしい。点滴をいれられ、病棟までは、髄液抜いたばかりなので、ストレッチャー移動。ストレッチャーからベッド移動は看護師四人くらいでシーツごと「いち、にぃの、さん」で平行移動。う~んさすがです。
朝になって、ぼーっとしていると、看護師さんが入れ替わり立ち替わり深夜に入院した私を確認にきてくれたけど、どなたが来てくれたか全く覚えてない…。


担当医も決まり本格的な治療開始。点滴が1時間単位で切り替わっていく。担当医は「点滴の絨緞爆撃」と表現していた。
個室だったため、携帯電話の使用も許されていて、職場に連絡を入れたりもした。しかし、今思うとかなりとんちんかんなことを言っていたと思われる。
3日目にまた髄液検査があり、背中をちくり…。神経内科医で評判のよい担当医はさすがに上手で、痛みもなく、安心していられた。この日の髄液検査の数値はまだ170を超えていて、なかなか下がらないものだと実感する。頭痛や耳鳴りの諸症状はいくらかはよくなってきてはいるものの、まだまだで、担当医も「療養期間は約一ヶ月」といわれた。「治療の後半はものすごく暇になるから、今は我慢して」と妙な励ましをもらうが、ちょっと想像ができない。


こんな状態が一週間ほど続き、週末には弟夫婦が見舞いに来てくれて、差し入れをもらう。
入院二週目になると職場の上司から見舞いがある。だいぶ調子は良くなってきてはいたけれど、少し具合の悪そうな素振りをしてしまった。


この入院でキャンセルになったこと。
私の所属している吹奏楽団が長年参加してきた吹奏楽コンクールで初めて県代表になり、上位大会に出場が決まっていました。それも地元開催。吹奏楽連盟の役員をしていることもあり、いろいろ役割を仰せつかっていた。しかし、入院した週末の9月3日、上位大会の「東海大会」があり、コンクール参加断念。迷惑かけまくり…。無念。残念。そのことを妻にこぼすと「ガンでは直ぐ死なないけれど、髄膜炎は直ぐ死ぬ」の殺し文句…。


入院中辛かったこと。
行動範囲に規制があり、部屋から出られなかったこと。微熱が続き、37度以下で24時間継続しないと洗髪(入浴・シャワー)の許可が出なかったこと。10日間洗髪できなかった。いまひとつ治療計画や看護計画がはっきりわからず、清拭もお願いしていいのやらよくわからなかった。やっぱり看護師さんの方から説明や促しがないとお願いしづらいと思った。


入院2週目の週末、点滴もはずれ、外泊許可が出る。久々に自宅に戻れる。うれしいけれど、三日に一回のペースで見舞いに来てくれていた子どもたちの煩さに頭が痛くなっていただけに不安になる。車の中で早くも不安的中。車酔いして気持ち悪い。久々に外に出て、情報量が増えたためなのか、頭がフラフラ、体がフワフワ…。物もなんだか遠くに見える。う~ん後遺症か…。妻は「頭の中、腫れてたんだから、しょうがないよ」とひとこと。二泊して病院に戻る。日に日に回復に向かっているのはわかるけれど、まだちょっと辛い。


 入院15日目、退院を決める髄液検査。
ここでちょっとした事件が起こる。外泊前からこの日に検査があることがわかっていたので、何時に採取するのか看護師さんとも気にしていた。
担当医は外来休診にしていて、予定がちょっと未定だから髄液採取は午後になるだろうと思っていたら大ハズレ。9時半頃になりそうだと担当看護師から連絡もらい、部屋で準備。
そうこうしているうちに担当医が研修医とおぼしき若い女医さん連れて入ってきた。担当医が採取するものと思っていたが、どうも会話の成り行きがおかしい。
「ありゃ??」どうやら研修医がやるらしい。内心「おいおい待ってくれよ」である。研修医は挨拶も自己紹介もなく、私のきちんとした同意もなく、髄液採取のせん刺の準備をはじめた。
仕方ない。指示された体形をとる。採取中、だんだん左臀部というか大腿骨が痛くなり辛くなった。そのうち左足がピリピリしびれたのでさすがに声を出し、訴えた。
担当医は大丈夫だよといってから研修医に指示を出す。足のしびれはなくなったが、採取の時間がとても長時間に感じられた。
研修医さん、もうちょっと愛想良く声かけしてよ。不安です。
看護師さんにはその旨ちょっと伝えておいた。その話をきいた妻はプンプン怒っていた。


髄液内の細胞数は45と下がっていた。50以下が退院の目安となるので、翌日の夕方退院の予定となる。でも通常の大人は10以下らしいから、それと比べるとまだまだ高い数値ではある。
この夜、せん刺した背中、しびれの出た左足に痛みがでて苦痛となった。坐薬を使いなんとか寝ることができた。
髄液せん刺は腰痛などの後遺症が出るらしいが、思いっきり出ている感じ。退院はなんだかきちんとした説明、指導もなく、なんとなく退院…。
こんなんで良いのかなという不安とちょっとした怒りが発生した(^^ゞクレームしようかどうか迷ったけれど、面倒くさくなっちゃった。
自宅に戻る最中の車は、やはり気持ち悪くなった。自分で運転したら大丈夫だろうと思っていたが、その運転がとても苦痛で気持ち悪かった。
退院して一週間ようやく大丈夫になってきた感じである。


 そろそろ職場に復帰しなくては…。 嫌だなぁ…。

はじめまして
2006年09月24日 (日) 20:47 | 編集
プロバイダーを変えてFC2にお世話になることにしました。

プロバイダーよく研究しないで、はじめて少し後悔したかも。

FC2さんに腰を据えてお世話になろうと思う。
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